
小学校5年生のころ、ぼくらは3人でラッパを吹いていました。
ヒロ青戸(青戸裕之、通称:アット)、山口潤(通称:ダバ)、そして自分。放課後、音楽室に集まって、ただ夢中で音を鳴らしていた。あの頃のぼくらにとって、音楽で日本一を目指した真面目な遊びであり、世界そのものでした。
それから数十年。人生はそれぞれの道を歩きましたが、音楽が再びぼくらを引き寄せました。
それぞれの道、でもまた交わった
アットは国内線のパイロットを経て、ミュージシャンに転身。
ダバは大阪市音楽団「Shion」のホルン奏者としてプロの道へ。
自分はサラリーマンという別の道を歩みながら、心の奥にはずっと音が流れていた。
あるときふと思ったのです。
「もう一度、あの3人で音を重ねたい」
「そして、故郷を唄にしたい」と。
はじまりの唄「かんなびぬ」
こうしてできたのが、1曲目「かんなびぬ」でした。
作詞:自分(なみのすけ)
作曲:アット
アレンジ:ダバ
アレンジを誰に頼むか悩みましたが、「かんなびぬ」の情景をいちばん深く知っているのは、やっぱりあの頃からの幼馴染、ダバしかいないと思ったのです。快く引き受けてくれた彼に、心から感謝しています。また、当時一緒に音楽をしていた幼馴染も陰になり日向になり応援してくれています。
そして2022年10月19日、東京の目黒で初めて演奏された「かんなびぬ」。
アットの歌声が響いた、画面の先でしたが緊張していたあの日のことを今でもはっきり覚えています。
自分の分身でもあるなみのすけが、YouTube番組「なみのすけ悠々閑々」で、その経緯を話しています。
▶️ #81|故郷の唄づくりのはじまり
▶️ #82|「かんなびぬ」誕生秘話
▶️ #83|3人で音を紡ぐということ
夢の話と、アットとの約束
この唄づくりはただの懐かしさではありませんでした。
アットと交わした、ひとつの“約束”があったのです。
それは、
「この唄をCDにして、ハワイで一緒に録音しよう」
「そして、グラミー賞を取ろう」
おっさんが言うには、あまりに大きすぎる夢かもしれません。
でも、アットとなら「いけるかもしれない」と、本気で思えた。

この夢について、YouTubeで語った回があります。
▶️ #101|おっさんの夢、始動
▶️ #113|アットとの約束、グラミーを目指して
しかし、突然のお別れが訪れる
そんな夢を描いていた矢先のこと。
2023年6月、アットが帰らぬ人となりました。
言葉を失いました。
「じゃあ、唄はどうなる?」
「約束はどうなる?」
あまりに大きな存在を失い、唄の時間が止まりました。
作曲も、歌も、アットだったからこそ生まれていたもの。
その空白は、想像以上に大きかったのです。
それでも、音を止めたくない
でも今、思うのです。
アットとの夢を、ここで終わらせたくない。
作詞家として、自分にできることをやっていきたい。
次の曲たちも、形にしていきたい。
たとえ歌うのがアットでなくても、彼の魂は、唄の中に必ず生きている。
そして、やっぱり、ハワイで録音したい。
あの場所で、あの空の下で、アットと語ったあの夢の続きを。
おっさんの夢、まだ途中です
若い頃の夢は、どこか無謀で、どこか純粋で。
年を重ねてからの夢は、どこか恥ずかしくて、でもやっぱり本気で。
これは、おっさんの夢です。
でも、おっさんたちは本気です。
そして、アット。
聞こえているだろう?
あの約束、まだ終わってないぞ。
これからも、歌い続けるからな。
最後に
読んでくださった方、もしよければ、「かんなびぬ」を忘れずに待っていてくださいませんか。
そして、音の中に生きるアットの想いを、感じてもらえたら嬉しいです。
音楽は、人の命を越えて、夢をつなぐ。
おっさんの夢は、まだまだこれから。
アットの5月の○○回目の誕生日を控えて・・・。

今日も佳き日に
コーチミツル(なみのすけ)