
私たちは誰しも「人生」という限られた時間を生きています。
でもその時間、すべてが自分のためではなく、誰かのために使うことも少なくありません。
自分に残された時間があとどれくらいかなんて、誰にも分かりませんが、長いか短いかに関わらず、“有限”であることだけは確かです。
若い頃って、その当たり前のことすら忘れて、まるで時間が無限にあるかのように過ごしてしまいがちです。
正直、私もそうでした。人生の終わりなんて意識したこともなかった。
でも、平均寿命を折り返し、両親を見送った今は、ふとした時に「残りの時間」を考えるようになりました。
そんな中、今日は、
ある会社の方が機材交換に来る予定があり、朝10時から家でスタンバイしていました。
作業は30分くらいと見込んで、終わったら筋トレして、右膝ケアのため温泉にも行くつもりで計画を立てていたんです。
ところが、10時を過ぎても来ない、10時半も過ぎ、11時も…結局何の連絡もなし。
こちらは頼まれ仕事で業者さんの連絡先も分からず、どうすることもできません。
「いつ来るんだろう…」と思いながら過ごすその時間は、かなり長い時間のように感じました。
ふと考えたんです
「これは、自分の貴重な“人生の時間”に対してどう向き合えばいいのか?」と。
こんなこと、他でもよくありますよね。
会議や打ち合わせで誰かが遅れたら、その人が奪っているのは“遅れた時間×人数分”の人生時間。
ちょっと大げさかもしれませんが、時間は命そのもの。カウントダウンしてる時計の針は止められません。
皆さんはどう思いますか?
約束を守らない人に、自分の大切な時間を委ねたいと思いますか?
もちろん、ただ待つという選択肢もあると思います。
でもそのままじゃ、自分の人生の貴重な時間がただ過ぎてしまう。それってもったいないですよね。
そこで提案です
「待たされる時間」を、自分のために使ってみませんか?
私も今回、20分ほど待って「これは遅れるな」と思い、気持ちを切り替えて家でできることを探しました。
結果、メダカのエサやり、庭の草取り、水やり、洗濯、風呂掃除、部屋の片付け…
雑用ではありましたが、思いのほか充実した時間になりました。
結局、その方は2時間半遅れて到着し、作業自体はわずか10分で終了。
予定していた筋トレと温泉は諦めることになりましたが、それでも「今日やれること」を見つけて行動できたことは、自分にとって良かったと思っています。
これからも、こんな“思いがけない空き時間”が訪れることはあるでしょう。
その時は、無駄にするのではなく、自分や周りの人のために使える何かを見つけて、大切に過ごしたいと思います。
もちろん、自分自身も他の誰かの時間を大切に扱うよう、これからも意識していきたいです。
時間は、取り戻せない。命は、有限。
Time is Life.

今日も佳き日に
コーチミツル