335.贅沢じゃなくても、幸せにはなれる理由(「ばけばけ」が気づかせてくれた、笑いと救いの物語)

贅沢があれば、人は幸せになれるのだろうか

ブランドの服や高級な品物には、人を惹きつける力があります。
けれど自分は、昔からずっとこう思ってきました。

「値段より、自分が居心地よくいられるものを選びたい」 と。

服でも道具でも、有名ブランドよりも、“自分の身体や気持ちになじむもの”を大切にしてきました。
そのほうが結局、暮らしが豊かになります。

贅沢そのものを否定するつもりはありません。
ただ、贅沢が増えたからといって、幸福が比例して増えるわけではないと、ずっと感じてきたのです。

「ばけばけ」に感じる、救われる笑い

そんな価値観を持っている自分にとって、今放映されている「ばけばけ」は特に心に残る作品です。

登場人物たちは、とことん貧乏で、毎日が大変。
贅沢とはほど遠い暮らしなのに、どこか心が温かいのです。

深刻な状況の中でも、ふと笑いがこぼれる。
その笑いは“作った笑い”ではなく、生活の中から自然に湧いてくるもの。

観ている自分の心が軽くなるような、そんな優しい笑いです。
幸福は、こういうところに宿るのだと改めて実感します。

自然な笑いが生まれる理由のひとつ

このドラマには、役者のアドリブが許されていると言われています。
あくまで中心ではないものの、自然な笑いを支えている背景のひとつだと感じています。

アドリブで生まれる小さなズレや予期せぬ反応。
そうした“人間らしい揺らぎ”が、作品全体に柔らかな温度を作り出しています。

ただ、本当に大切なのはアドリブそのものではなく、その自然さを受け止める空気があるということ。

その空気が、画面越しでも心を救うやさしさにつながっているように思います。

誰かと一緒に食べると、なぜかもっと美味しくなる

自分は、昔から良い肉や美味しいものをいただくと、自然とこう考えてしまいます。

「ひとりで食べるより、家族や息子たち家族と一緒に食べたほうが、もっと美味しい」

息子たちがどう感じているかは正直わかりません。
でも、自分にとっては、その場を共有する時間こそが嬉しくて、心が満たされるのです。

料理の味そのものより、“誰と食べるか”で美味しさは変わる。
これもまた、贅沢を超えた幸福の形だと思っています。

幸福は、あとからそっと姿を現す

贅沢と言えるほどのものがなくても、自然に笑えていた時間は、あとから温かい記憶として残ります。

・食卓でのささやかなやり取り
・誰かと交わした何気ない笑顔
・大変な日なのに救われた一言
・何もなくても安心できた時間

幸福は、特別な出来事ではなく、日常の中で静かに光る“心の反応”のようなものです。

笑える自分でいられることこそ、豊かさ

高価なものを持っていても、心に余裕がなければ笑顔は生まれません。
逆に、質素でも、自然に笑える自分でいられれば、それだけで十分に豊かです。

ばけばけを観てあらためて感じたのは、笑える心がある限り、人は幸せを見失わない ということ。

贅沢よりも、笑顔を共有した時間。
ブランドよりも、心が居心地よくいられる選択。

そこにこそ、変わらず大切にしてきた“豊かさ”の本質があると感じています。


あなたが昔から変わらず大切にしてきた“幸せの基準”は何ですか?
その基準は、どんな瞬間に形になってあらわれますか?

今日も佳き日に

コーチミツル

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